川淵三郎の経歴や年齢、大学は?サッカーやバスケの実績は?

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東京オリンピック会長の後任に川淵三郎さんが就任する可能性が高まりました。

川淵さんは元サッカー選手で、日本サッカー協会の元会長を努めています(現在は相談役)

また、日本バスケットボール協会の組織改革を行い、国際大会の出場停止処分を解除した実績も。


過去の実績から東京オリンピック委員会の組織改革にはうってつけの人物です。

今回は川淵三郎さんの経歴や年齢、大学に加え、過去の実績についてご紹介します。

東京オリンピック組織委員会の後任は川淵三郎?

森会長の正式な辞任発表はないですが、後任は川淵三郎さんでほぼ確定みたいですね。

森会長の後任には、安倍元首相や丸川珠代議員といった政治家になると予想していましたが、スポーツ業界の重鎮が選ばれたのは予想外でした。


森会長は他業界のパイプを持っていて調整役にはうってつけの人物でしたので後任にはやや不安がありましたが、川淵さんであれば申し分なさそうです。

不安要素があるとすれば、高齢(84歳)なので体力面が心配ですね。。。

川淵三郎の経歴

川淵三郎さんは現在84歳で、元サッカー選手。

現役引退後は代表監督を努め、Jリーグ立ち上げに関わっています。

出身大学は森会長と同じ早稲田大学商学部です。

現役時代や引退後の活躍はこんな感じ。

現役選手引退まで

1936年12月3日 大阪府泉北郡高石町(現在の高石市)出身、父・川淵眞一、母・淑子の3男として出生。1943年 大阪府高石町立高石国民学校入学。吉岡たすくの指導を受ける。1945年 大東亜戦争(太平洋戦争)終戦。1949年 大阪府高石町立高石中学校入学、野球部に所属。1952年 大阪府立三国丘高等学校入学、同年7月同校サッカー部に入部[7]。1955年同校卒業1957年 2浪の後早稲田大学第二商学部商学科に進学。早稲田大学ア式蹴球部でプレー。関東大学リーグ優勝。

・1958年 日本代表に初選出。関東大学リーグ優勝。
・1959年 ローマ五輪アジア予選出場。
・1960年 第7回チリW杯アジア予選出場。関東大学リーグ優勝。
・1961年 3月、早稲田大学第二商学部商学科卒業後、古河電気工業入社。4月、横浜電線製作所勤務。同社サッカー部でプレー。
・1962年 インドネシアジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場。12月、結婚。
・1964年 日本代表として東京オリンピック出場、対アルゼンチン戦でゴールを挙げた。

引退後

・1970年 現役引退(日本代表通算68試合、18得点)。古河電気工業サッカー部コーチ就任。
・1970年 現役引退(日本代表通算68試合、18得点)。古河電気工業サッカー部コーチ就任。
・1972年 古河電気工業サッカー部監督就任(1975年退任)。
・1976年 日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年退任)。10月、伸銅事業部第1販売部課長。
・1980年6月、LA五輪強化部長に就任。8月、系列会社「谷商株式会社」の常務取締役に出向。11月、日本代表監督代行就任。
・1981年 日本代表監督退任。
・1982年6月、古河電気工業・名古屋支店金属営業部長。
・1984年4月、日本サッカー協会強化部長退任。
・1988年6月、古河産業へ出向、取締役伸銅品部長。8月、JSL総務主事就任。10月、日本サッカー協会理事就任。
・1989年6月2日、JFA・プロリーグ委員会委員長就任。
・1990年8月、プロリーグ検討委員会委員長就任。設立、初代チェアマン就任。11月、30年勤続した古河電気工業退社。
・1993年5月、Jリーグ開幕、国立競技場にて開幕宣言。
・1994年5月、日本サッカー協会副会長就任。6月、W杯日本招致委員会実行副委員就任。10月、強化委員長退任。
・1996年7月、2002年W杯開催準備委員会実行副委員長就任。
・1997年12月、2002年FIFAW杯日本組織委員会理事就任。
・2002年7月、Jリーグチェアマン退任。後、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任。
・2008年6月、3期6年務めた日本サッカー協会会長を退任、名誉会長に就任。
・2010年9月、日本サッカーミュージアム館長に就任。任期は2年。
・2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。
・2011年6月、東京都教育委員に就任。(2012年11月22日退任)
・2012年3月、心の東京革命推進協議会会長に就任[8]
・2012年4月、JFAアカデミー堺スクールマスターに就任。
・2012年6月、日本サッカー協会名誉会長を退任し、同最高顧問に就任。
・2012年11月、東京都教育委員を退任し、東京都知事選に出馬する猪瀬直樹選挙事務所の選対本部長に就任[9]
・2013年3月、公立大学法人首都大学東京理事長の就任が決まる。任期は、4月1日から4年間[10]
・2015年1月、国際バスケットボール連盟主導で設立された日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに就任[11]
・2015年4月、一般社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事長に就任[12]
・2015年5月、日本バスケットボール協会会長に就任[13]
・2015年5月、日本トップリーグ連携機構会長に就任[14]
・2016年6月、日本バスケットボール協会会長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任[6]
・2017年3月、公立大学法人首都大学東京理事長を任期満了で退任[15]
・2018年3月、日本サッカー協会最高顧問を退任し、同相談役に就任[16]
・2019年3月、一般社団法人大学スポーツ協会顧問に就任[17]
・2019年12月、東京オリンピックパラリンピック選手村村長に就任することが決まる[18]
・2021年2月、森喜朗の辞任に補う東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任予定[19]

https://ja.wikipedia.org/wiki/

引退後はJリーグ立ち上げなど、サッカーを中心に尽力してますが、日本将棋連盟や東京都教育委員に就任(いずれも2年以内に退任)などサッカー以外の分野の経歴もあります。

民間企業を1年で退任するあたり、天◯下り?かなと勘ぐってしまいますw

川淵三郎の実績

全国各地にJリーグクラブをつくったり、2002年のワールドカップ日韓大会の誘致を成功させるなど日本のサッカー業界を牽引した人です。


サッカー以外の実績にもバスケットボール業界の組織改革も成功させています。


改革前の日本のバスケットボール業界は、2005年から約10年間バスケのトップリーグが分裂。

2015年には国際バスケットボール連盟から資格停止処分をくらい、国際大会に出場できませんでした。


川淵さんがバスケ業界のチェアマン(業界のトップみたいなもの)になってから、分裂したリーグの統合(Aリーグ・Bリーグを設立)や資格停止処分の解除に成功しています。


分裂したリーグの統合だけでも凄いのですが、約4ヶ月で資格停止処分を解除させるのは神業ですね。


海外は処罰に厳しいので、1回受けた資格停止処分を解除させるのはなかなか難しいはずですが、すぐ解除できてしまうのは川淵さんの手腕があってこそかも。

川淵三郎の後任に対するネットの声

後任がほぼ確定となった川淵三郎さんに対するネットの声をご紹介します。

過去のツイートを遡って叩かれてしまうとどうしようもありませんが、ツイートする内容も注意しないといけない時代ですね。

早稲田繋がりだと内輪と疑われても仕方がありませんね。

後任の選考基準も不明瞭だったので。

まさかの森会長が相談役w

これだといまと体制は変わらないので、あまり意味がないですね。。。

川淵さんはスポーツ界出身の方なので、一定の理解はありそうでしたけど雲行きが怪しくなってきました。

森会長の人脈を川淵さんが使っていくのであれば、理解は得られそうですが。

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